私の過去
まず私の過去の話をしましょう
1987年に双子の姉として生まれた
その時点で2歳上の兄がいた
母は兄が大好きだった
兄が小さいころは女の子に間違えられるほど可愛く、長男だったため可愛がられたのだ
それは普通の事だろう
母は結婚当初、父の実家で暮らしていたが嫁いびりにあい、堪えられなくなり田舎から都心へ引っ越した
都心での生活はよかったが周りに知ってる人がおらず、寂しい思いをしたと推測される
そのため兄が生まれてとても嬉しかったのだろう
その後妊娠が発覚したが、双子だとわかった時随分悩んだそうだ
生むべきかどうか、、、
結果生むことにした
妊娠中はお腹がはち切れんばかりに出て生活に支障が出るほどだった
やっと生まれた双子は女の子で一卵性双生児だった
未熟児でもなく、至って健康な状態で産んでくれたことは感謝している
それからが母にとって過酷だった
子供が突然増え、しかも泣きまくる
兄に構ってあげる事も出来ず、双子から目が離せなかった
その間に兄は喉が渇いて、昔のトイレにありがちなタンクの上から流れる手を洗う為の水を飲んでいるのを発見し、悲しみに暮れる
助けてくれる人は誰もいない
母はどんどん育児ノイローゼになっていった
ある時、母は泣いている私達双子に布団をかけたそうだ
まだ寝返りも打てない赤ちゃんに布団をかけるということは
殺人を意味する
堪えられなくなり、突発的にやってしまったようで
すぐに布団を剥いで生存を確認した
何故そんなことを私が知っているか、、、
母は当時小学生だった私達双子に話したのだ
武勇伝かのように
私はその話を聞いたとき純粋に
自分は生まれてきてはいけない子供だったのだと悟った
現在は私も大人なので気持ちはわからなくもないが正直小学生の子供に簡単に話す事じゃないなと
せめて大人になってからにしてほしかったと今でも思う
その後、子供達は順調に成長したが
母の母であるおばあちゃんが半身麻痺になってしまったのだ
おばあちゃんはその時まだ50歳代だった
母は私達を自分の兄のお嫁さんに預けてリハビリを手伝う事にした
心を鬼にしてかなり厳しくリハビリをしたそうだ
そのお陰か、車椅子に乗ることなく日常生活を送れる程に回復した
その間私達は何をしていたか、、、
お嫁さんは泣く双子におにぎりを作ってくれて、それをたらふく食べていたらしい
これが何を意味するか
私達はストレスを感じるとご飯を食べることで解消していたのだ
過食の始まりだった
今日はここまで